地震と異世界
一昨日地震があって津波の予報がでたが大きな被害は出ずに解除されたのは幸いでした。
しかしこれが3.11の余震だったということはまたいつ大きな地震が来てもおかしくはないということでしょう。調べてみるとネットには科学的なものから都市伝説に近いものまで、様々な情報が飛び交っています。
こういった予言までも含めたまとめサイトなどを最近良く見ています。
某掲示板の予言めいた書き込みのなかには、現実と符合するかのような印象を受けるものがあるようです。しかし一方で荒唐無稽なものまでを含めて毎日大量の予言がなされているという事実もまたあります。都合よく取捨選択していればさも当たったかのようになるというのです。ブログによってはこの辺りの消息をよくわきまえたスタンスのセンスが程良くなかなか読ませるものもあります。
これらのブログを読んでいて気になるのは、自称も含めて何らかの予兆を得る人のなかには、彼らが見るビジョンが、この現実世界と並行して存在する異世界とでもいうべきものを措定しているような節があることです。
現実世界に非常に似ているが微妙に違う世界。予言が外れた時には実はその異世界を見ていたのではないかという言い方がよくされているのです。単に外れた際の言い訳にも聞こえなくもありませんが、こういう異世界の存在が共通認識として語られること自体に民俗学的な視点から非常に興味を覚えます。SFにおいてパラレルワールドが語られ始めたのはいつの頃からでしょうか。この辺を掘り起こしてみると面白いかもしれません。
パラレルワールドと異世界という語は厳密には異なるもののようですが、Wikipediaによると、既に1930年代にパラレルワールドを主題にしたSFが登場しているようです。この概念の登場以降は誰もが創作の世界においては理解可能な程にポピュラーな主題になっています。しかし、ここに来て異世界に行ってきたという話がネットで相次いで書き込まれているようなのは非常に興味深い話です。これがどのようなものかは某掲示板のまとめサイトである下記に典型的な話が纏まっているのでリンクしておきます。
不思議ネット「俺が異世界に行った話をする」
http://blog.livedoor.jp/worldfusigi/archives/5618532.html
これに類する話が複数登場しているのですが、その共通点は、
・空の色がおかしいなど何かのきっかけで異常に気付く。
・世界は日常と酷似しているが、ある筈の建物が無いなど微妙に異なる。
・言葉は通じるが文字表記がおかしい。携帯は不通。表示もおかしい。
・異世界へ迷い込んだことを理解している人物が現れ、元の世界に帰そうとする。
などで、元となる話型からの派生という意味では、都市伝説の流布過程の良いモデルになるのではないかとも思います。
私がこれを読んで連想するのは、平田篤胤「仙境異聞」での仙童寅吉です。或いは神隠し譚、浦島太郎などもこの話に繋がる原型と言えなくもありません。先の話で主人公たる「俺」が異世界でものを食べるシーンでは、古事記の「よもつへぐい」を連想したものの、あにはからんや、ここでは現実世界に帰ることが出来ています。
このような話が相次ぐというのは何らかの社会病理学的な背景があるのでしょうか。
或いは離人症様の症例が増えているのか。なかには触発されての創作もあるでしょう。それも含めてネットという混沌のなかに時代というものがひっそりと咲かせる話として非常に興味を惹くのです。