[雑記] 紫薇斗数、理不尽、自炊、そしてスパイラル
今年は自分の身の回りに変化がある年だと感じるのですが、以前知り合いの紫微斗数使いに運命を観て貰ったところなんとも平凡なもので、あまり起伏というものが無いのです。
これはどん底を経験するとか一転して栄耀栄華を極めるなどということの無い運命ということでしょうか。
果たしてこれは良いことなのだろうかと思わないでもありません。
人間万事塞翁が馬、禍福は糾える縄の如しと言われますが、実際はことの良し悪しなど誰もわからないということなのだろうと思います。
人間が勝手に決めて一喜一憂しているだけなのです。そんな気がしました。
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特定の信仰があるわけではありませんが(家は曹洞宗ですが)、例えば観光地などで神仏に手を合わせるときも、以前のように何かを成就したいというよりむしろ最近は、なるがままにお任せしますと祈ることが多いのです。
いわゆるひとつの、巷に聞くところの「枯れ」でしょうか(笑)、いやまだそれ程の歳ではない積りですが、整然としているようで余りに理不尽に埋め尽くされたこの世界、いちいちそれに抗うことに疲れてしまうということもあると思います。
それよりも何が起こっても受け流せるように祈るほうが理にかなっていると思うのです。
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先のエントリに書いたトレーネ・ルールについて思い起こしてChristopher Hillsの「Super Sensonics」を書棚から出して久しぶりに頁をめくったところ、背の糊が劣化して頁がバラバラになっていました。
アメリカのペーパーバックはこんなものなのでしょう。そもそもこの本は判型が大きく紙質も厚手なのでこうなりやすいのでしょうか。
いっそ本当にバラバラにして自炊するという手もあるかも知れません。タブレットで同書が読めるのは考えてみると素晴らしい。
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ネットで見つけたノルウェー上空のスパイラル、この現象、一体なんでしょうか。
アップが2012年であり、それ程話題にもなっていないのはやはりCGでしょうか。
こんな巨大な渦が空に出現したらさぞかし美しいことだろうと。
とりとめもなく。