デトックス
世の中、嫌なことに遭遇することはままありますが、自分に落ち度があればそれは反省すべきではありましょう。しかし身に降りかかる謂れもない不快さについては、その行為者の無知や愚かさに怒りを覚えることもあるでしょう。むしろ、そんなことの方が多いのかも知れません。
しかし謂れもないのに怒りを覚えさせられるというのもさらに理不尽ではあります。そこで更に怒りが増加するのです。
ヴィパッサナなどはそのような心の動きを逐一、淡々と観察し認識することによって囚われから離れることが出来るとする瞑想で、最近では日本でも認知度が上がっているのではないかと思います。
よくよく考えてみますと、その理不尽さも自分に何らかの因があったのかも知れないし、ここでいう因は直接因というより因果の因であり仏教的な意味合いでの意ですが、そうであればなおさらそのことについて想いを巡らすことは悪いことではなく、むしろ何かを浄化するプロセスではないかとすら思うのです。
悪意があって害をなす人は明示的もしくは非明示的にも必ずその代償を払うことになります。
その際に同時に害をなされる人の持つ悪いものを害をなす人が負うことにもなるのです。感覚的にそう思います。
つまり不快な気分を味わわされるのはある意味デトックスなのです。
嫌な気分にさせられたときにはその分、悪いものをわざわざ持って行ってくれるという好機でもあるのです。