新年に寄せて

新年明けましておめでとうございます。
ここ暫くの多忙ゆえ遅ればせながらのご挨拶となってしまいました。

ついこの間、21世紀になったかと思ったばかりでもうそれから15年も経っているというのは考えてみれば驚きですが、こう考えてみると人の一生というのも本当に短いものだと改めて思うのです。

このブログに関連する話題も実は沢山あるのですが、なかなか時間が取れません。今年は気負わずにエントリをして行きたいと思います。

別にいつでも良い筈なのですが、新年は目標を立てるのに丁度良い機会ですので少々考えてみたいと思います。

預けるということ

以前のエントリでも触れましたが、仏教的に言えば苦のもととなる自我を如何に放擲して大いなるものに預けるか、ということが大事と思います。

各自の信仰の対象なら何でも、と言うと語弊がありますが、それに委ね、預け、手放すことがいま最も重要なことと思えるのです。

特定の信仰を持たない小生なら、その対象は「自然」と言って良いかと思います。大自然、森羅万象へ如何に「私」を預けるか。いま、ここで。これを意識したい。

参禅

随分以前に臨済で参禅の経験があるのですが、また始めてみたいと考えています。機が熟し自然と始められるようになるのが理想です。

慈悲の瞑想

ヴィパッサナ瞑想で行われる慈悲の瞑想は以前、本で読んではいましたが、その重要性に気づいていませんでした。しかしここ何日かにその意味に思い至り、日々の生活に組み入れることが重要と感じ始めています。

では、慈悲の瞑想とはどんなものか、全文を下記に掲げます。

私は幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとが叶えられますように
私に悟りの光が現れますように
私は幸せでありますように(3回)
※こころの中で「私は幸せでありますように」と繰り返し念じる。
私の親しい人々が幸せでありますように
私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の親しい人々の願いごとが叶えられますように
私の親しい人々にも悟りの光が現れますように
私の親しい人々が幸せでありますように(3回)
※こころの中で「私の親しい人々が幸せでありますように」と繰り返し念じる。
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように
生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)
※こころの中で「生きとし生けるものが幸せでありますように」と繰り返し念じる。
私の嫌いな人々も幸せでありますように
私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々の願い事が叶えられますように
私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように
私を嫌っている人々も幸せでありますように
私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように
私を嫌っている人々の願い事が叶えられますように
私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように
生きとし生けるものが幸せでありますように (3回)

Wikipedia「慈悲の瞑想」より引用。

この言葉、特に第3段落は精神的に辛いかも知れませんが、よく味わうと心の中が浄化され軽くなってゆくようになっています。これは宗教や信仰というより、心の仕組みを仔細に観察することによって得られた論理的帰結と私には思えるのです。

それでは今年も宜しくお願い致します。

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