溢れる光

いつもお願いばかりしているお地蔵様に最近手を合わせていると、体の中心から光が溢れて全身を包み、それが外に向って広がる感じがあるのです。
驚いてお顔を見上げると、それでいい、というような感覚を受けました。まばゆい光が内側から広がる感覚はとてもこころよく何か安心感があるのです。

以前にもお願いをして望んだ通りの結果となったので塩をお供えしお礼参りをしたことを書きましたが、今度も考えてみればここで書くことも躊躇われるような卑近なお願いをしたところ、やはり直ぐに叶えて下さり、近々またお塩を奉納しなければと思っています。

これも以前エントリしましたが、神仏に手を合わせる時には利己的なお願いをするのではなく、あるべきようになりますように、とするのが理にかなっていると本来は思うのです。しかし人間の出来ていない自分はつい小さなことをお願いしてしまう、そんな申し訳なさもありますが、不思議と叶えて下さることに少しばかり恥ずかしささえも覚えるのです。

それもこの光が溢れるようなイメージを持たせる方便かもしれないとふと思います。折に触れ日常でもこの感覚を思い出してみたいと思っています。

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